ブックレビュー

◇『八月の光』ウィリアム・フォークナー・新潮文庫  文=NOBO
フォークナーは、一九五〇年、五十三歳の時にノーベル文学賞を受けたアメリカの作家である。

主な作品としては、「死の床に横たわりて」「サンクチュアリ」「響きと怒り」「八月の光」「アブサロム、アブサロム」などがある。
 しかし、長い間、ほとんど評価されなかったらしい。一九四六年にあるきっかけでアメリカでの評価が大きな転換を迎え、ノーベル賞の受賞につながったそうである。
 僕も、作品名はいくつか記憶していたが、全く読んだことはなかった。数年前に、小樽市の文学館に古本を見に行った時に、フォークナー全集があり、百円で買った。ちなみに、小樽の文学館の古本は、買値は買う人が決める。結構、掘り出し物があるのでお勧めである。買ったはいいが、しばらく読まずに本棚に入ったままであった。
 最近、読みやすい、楽な本ばかり読んでいるなという反省もありその全集に入っていた「死の床に横たわりて」を読んだ。はっきり言って読みやすい作品ではない。時間軸が分からなくなる。この話は誰のことなのか不明瞭になる。でも、完読した。印象に残った。次は「響きと怒り」。これはより難解である。しかし、癖になる。
 少し肩の力を抜いて短編「あの夕陽」「エミリーへのばら」を読む。「エミリーへのばら」は好きである。
 フォークナー作品のベストスリーは「響きと怒り」「八月の光」「アブサロム、アブサロム」らしい。
 「八月の光」を読もうかと思ったが、また難解だと困ると思い、図書館で借りることにした。新潮文庫、加島祥造訳である。文庫で六百五十ページ余りのフォークナーの最長編作品である。
 男に逃げられた妊娠中の田舎娘リーナ・グローブが、男を探して南部の町ジェファスンにやってくる。その町の製板工場で働くバイロン・バンチ、同じくジョー・クリスマス、ジョー・ブラウン、元牧師のゲイル・ハイタワーなどの過去、現在を織り交ぜながら、殺人事件が起き、その顛末はいかにという物語の興味も尽きない。
 しかし、小説の底に流れるものは、人間のどうしようもない愚かさであり、運命に翻弄される悲しさであると思う。しかし、それだけでは終わらないのが、この作品の素晴らしいところである。小説を読んで感動したのは最近記憶にない。この作品は、ぜひ読んでほしい。本も購入することにした。
 フォークナーという作家は、商業ベースで作品が売れるということには興味がなかった作家らしい。小説の価値は、売れるということでは決まらない。フォークナーの作品群は、このことを再認識させてくれた。
 もちろん私見ですが、作家M氏はノーベル文学賞は無理だと思う。フォークナーを読むとよくわかる。


◇『敵』筒井康隆・新潮文庫  文=NOBO
七十五歳になる渡辺儀助という元大学教授の悠々自適の生活を描いている。

愛妻に死なれ十年もたつのだが、時々妻との性生活を夢に見るのである。
谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」と双璧をなす作品だと思う。
「敵」のほうがより一般的な老人に近いかもしれない。
思わず笑ってしまうところもあり よくできた作品である。


◇『給水塔と亀』津村記久子・文学界2012年3月号  文=NOBO
川端康成文学賞受賞作。

定年を迎えた独身男性が自分の生まれた町に帰り、
部屋を借りて住み始めるという何ということもない物語なのだが、

子供の頃に見た記憶のある給水塔と借りた部屋に住んでいた亡くなった老女の飼っていた亀のことが、この男の生きていく人生に一つの安らぎあるいは幸福感を与えていることが、
普遍的な共感として読む者にもたらされる。
久しぶりに日本の文学を読んだ気がする。超短編と言っていい。

◇『さよなら渓谷』吉田修一・新潮社  文=NOBO
立花里美の四歳の息子萌(めぐむ)が遺体で発見される。

警察は里美を逮捕する。

里美の隣家の夫婦尾崎俊介と加奈子は、加奈子が夫俊介が里美と肉体関係を持っていると警察に告げたことから、事件に巻き込まれていく。

新聞記者の渡辺一彦は俊介のことを調べるうちに、俊介が大学時代に起こしたレイプ事件を知ることになる。

男と女の関係を掘り下げるいい小説である。罪と罰について考える。許しとは何かについて思う。

◇『荒野へ』から『火を熾すへ』ジョン・クラカワー&ジャック・ロンドン  文=NOBO
1992年4月、アメリカ東海岸の裕福な家庭に育った一人の若者が、ヒッチハイクでアラスカにやってきて、マッキンレー山の北の荒野に単身徒歩で分け入り、4ヶ月後、腐乱死体で発見された。

著者は綿密な取材をもとに青年の心の軌跡を辿っていく。ノンフィクションとして非常に面白い作品である。一人で荒野に入ってゆくという心理が少しわかるような気がするだけに、引き込まれるように読んだ。

この青年クリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは作家のジャック・ロンドンの作品が好きであった。その名を見て、すぐに数年前に切り抜いた新聞記事を思い出した。

それはジャック・ロンドンの「火を熾す」という作品を紹介したものだった。


その時は、その作品を読むつもりで切り取ったのだ。「火を熾す」は短篇のため、文庫ではなく短篇集として単行本の形で出ている。「火を熾す」は極寒の荒野を徒歩で進む男の物語である。火を熾すという一見単純な行為が、その男にもたらす結末とは。下手な冒険小説を読むよりもずっと、興奮させてくれる。

ジャック・ロンドンが書いた作品で有名なのは「白い牙」「野性の呼び声」などがあるが、その他にボクシング物といわれる短篇がある。これらの作品も素晴らしい。ぜひ読まれることをお薦めする。

◇『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子  文=NOBO
あの感動小説「ヘヴン」から二年ぶりの作品です。四百五十枚もありますが、長さを感じさせない。一気に読めます。

「恋愛の究極を問う衝撃作」というのが謳い文句ですが、それはちょっと違うでしょう、と思います。

私(入江 冬子)は校閲の仕事をしているが、会社勤めを辞めてフリーで仕事をすることにした。私を担当してくれる出版社の石川聖(女性)は自分の意見をはっきり言う人だった。私はある出来事をきっかけに、高校教師の三束さんと知り合う。私は三束さんのことを好きになるが…。

 

女性が男性を好きになったら恋愛小説かい、と突っ込みを入れたくなるが、川上未映子は謳い文句など気にしていないだろう。「ヘヴン」はいじめを描くことにより、人が自己をどう確立しながら生きてゆくかを問うていたが、今回の作品は何を我々に投げかけているのだろう。

 

物語としても非常によくできている。中だるみなく、飽きない。働く独身女性に読んで欲しい。いや、家庭の主婦の方でもいいですよ。家庭の主婦向けの話も、しっかり書かれていますから。雑誌「群像」9月号に掲載されています。僕は購入しました。


◇『川は静かに流れ』ジョン・ハート  文=NOBO
プロットの見事さ、人物描写、展開のスピード、伏線、謎解き、全てが素晴らしい。「ラスト・チャイルド」は少し都合が良すぎる場面もあったが、この作品はあまりそう感じさせるところがなく、素晴らしい。

難点を挙げるとすれば…。これを書くと犯人が分かってしまうのでやめます。

読んで損はしない。楽しませてくれます。平日3日間で読みました。お薦め。

◇『ラスト・チャイルド』ジョン・ハート  文=NOBO
数年ぶりに、ハヤカワポケミス読みました。

読み出したら止まらない。

土、日で八時間ほど読み続けました。

噂には聞いてましたが、めちゃくちゃ面白い作品です。ぜひお薦め。

この作者の「川は静かに流れ」もいいらしい。というか、「川…」のほうがいいよという評論家先生もいるので、この作品も近々読む予定です。読んだらまた感想書きます。

◇『耳の物語』開高健  文=NOBO
開高健「耳の物語」が文庫ぎんが堂から再刊されました。

以前、新潮文庫で出ていたのですが絶版になっていたのです。開高健が物心つく頃から五十歳を過ぎる頃までのことを、耳から入ってくる音を記憶の触媒としてつづった自伝的小説です。

日本文学大賞受賞作です。開高健という作家の苦悩が描き出されていて、ぐんぐん引き込まれて読みました。

谷沢永一との交友関係も出てきて、ああそうだったのと今回初めて知りました。思わず、谷沢永一の書いた「開高健の名言」KKロングセラーズも買いました。こちらはまだ未読ですが。

開高健という作家は日本文学界の中でも、忘れてはいけない作家だと思います。優れた作品を書いています。まだ読んだことのない方、ぜひ開高健の作品に触れてみてください。

◇『大いなる助走』筒井康隆  文=NOBO
地方都市の同人誌作家(作家か?)が文学賞を目指して奮闘する姿を描いている作品なのだが、非常に面白い。

文壇とそれを取り巻く作家先生達、編集者。物欲にまみれた人間達を笑い飛ばしながら、根底には、文学とは何か、小説を書くとは何かの問いも強くある。

世に出ること、人に認められることを強く願いながら、同人誌に書く続ける作家(?)達の姿が、自分に重なってくる。

本当に書くことはあるのか、書くことは自分にとってどういう意味を持つのか。

そういうことを考えさせる作品だが、そんな小難しいことを言うよりも、とにかく読むことをお薦めしたい。昴の同人同士でも、この作品のことで盛り上がること間違いなしだと思う。

◇『唐獅子株式会社』小林信彦  文=NOBO
著者は1932年(昭和7年)東京両国で和菓子屋の息子として生まれる。

一貫して〈日本における笑いの文学の確立〉を目標とする。その代表作と言っていい作品がこの作品である。

地下鉄の中で読んでいて思わず噴き出しそうになった。小説を読んで笑うというのは近年記憶にない。小林信彦の書くコラムもめっぽう面白い。映画、舞台、落語とこの作家の幅広く、深い知識に驚嘆する。

過去に、芥川賞、直木賞の候補作にもノミネートされたことがある。かなり前の話ではあるが。

他に、東京三部作といわれる「ドリーム・ハウス」「怪物がめざめる夜」「ムーン・リバーの向こう側」もイッキ読みさせてくれる作品である。

◇『憂鬱たち』金原ひとみ  文=NOBO
「蛇にピアス」で2003年に芥川賞を受賞。現在27歳で、結婚して子供も一人いるとのことですが、パワーは衰えていない。

この作品は、七編の短編からなる。主人公神田憂は著者を連想させる。他にカイズさん、ウツイ君という男性が登場するがそれぞれの作品での人物設定は異なっている。

神田憂は鬱病で精神科に通うべく家を出るが、途中で寄り道することになりカイズさん、ウツイ君に会うという展開になる。

主人公が鬱のせいか小説も一筋縄では行かない展開を見せるがその中心となるのは彼女の妄想(具体的に書くと禁止ワードに引っかかるようなのであえて書きません)で、鬱だからそのような妄想を抱くようになったのか、もともと(禁止ワード)に対する屈折した観念を持っていたから鬱になったのか興味深い。

以前、この七編のうち「ピアス」と「ジビカ」を読んだ時は、「このような鬱病小説は限界が来るだろうという印象を受けたが、今回この七編を続けて読むと、そこには著者が描き出す鬱病ワールドあり、読後一種のカタルシスを感じた。鬱病の方にお薦め。症状が軽い時にお読みください。

◇『蛍・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹  文=ひよし
「蛍」の最後の10行が好きで、何度も読み返している。100回ではきかないのではないだろうか。初めて手にしたのが16歳のときだから、24年経っていることになる。読み返すと言ってもスタート地点はその都度さまざまである。

冒頭からきちんと読むときもあれば、途中からのときもあるし、それこそ大好きな最後の10行だけをお経みたいに10回読んでお終いにするときもある。さまざまなのだ。

しかし最後の10行が与える感動はいつも均一で乱れたことがない。これは凄いことだ。24年間変わらないのである。金のように安定し、まったく揺るぎがないのだ。

24年間変わらぬ感動を与え続けるなんて凄いことである。マザーテレサか。しかしその前に、16歳で覚えた感動をいまだに味わっているこちらの成長力に問題があるのでは?という鋭い指摘はスペースの都合で割愛する。

今日だって、これを書くために読み返したら思わず最後の10行を7回読んでしまった。

◇『破獄』吉村昭   文=ひよし
吉村昭は上手いよ、と佐野良二先生が仰るので読んでみる。

上手いと思ったことを記します。

文章に明暗をつけている。

例えば、戦時下の暗いニュースを説明する文章の後には、段落を変え、全国的に天候が回復し、快晴になったことを数行しるす。

必要のない情報だ。しかし邪魔だと思えない。なぜなら、心が軽くなっているのを感じるからだ。

これをお冷効果と呼ぶ(ことにする)。

このお陰で胃もたれせず読了できた。

暗い話だから、読者を辟易させないために、明るい描写をほんのすこし添える。ほんの少しでいい。少量なので途中では気づかない。興ざめしない程度に、量を調整するのが技なのだろう。上手いなと思った。これ、わざとやってるなら上手いなと。もちろんわざとやってるのでしょう。

お冷効果、頂戴します。レッツ盗め!

◇『ヘヴン』川上未映子   文=NOBO
川上未映子の長編である。

舞台は1991年、僕は中学生である。斜視の僕はいじめにあっている。

四月も終わりかけているある日、ふで箱に〈わたしたちは仲間です〉と書かれた小さく折りたたんだ紙が入っていた。

芥川賞受賞作の「終の住処」がえらく売れているらしいが、問題にならないくらい「ヘヴン」のほうがいい作品である。特に最後はいい。

今年度ベスト1に勝手にしてしまう。昴の例会でぜひ取り上げて欲しいですね。

群像8月号に掲載されたのですが、単行本も出ています。

群像8月号貸してくれたななえさんにこの場を借りて感謝します。

◇『さまよう刃』東野圭吾   文=YUICHI
夏の一冊というよくある本の紹介で、未成年が若い女性を蹂躙し、その父が復讐するというこれだけで手に汗握る、男なら一度読みたくなるような内容だったので読んでみた。

始めから終わり迄、読者を飽きさせない内容だった。昔、自分が中学生の頃、女子高生コンクリート殺人の事件が起きたが、その記憶と若干ダブってしまった。

法律や国は犯罪被害者には厳しい。死刑制度はあるのに、未成年には甘い。世界的に見ても結構ファジイな国だろう。

本を読み終えてこれなら映画になってもおかしくないなと思った。次の日、Webをたまたま見ていたら、なんとこの秋、作品が映画になるという、あまりにもタイムリーだったので戸惑いを覚えた。

しかし、今がその時期なのだろうか、もっと昔、あの事件があった頃にこの映画があればもっと民意に訴える事ができたのではないだろうか。

法まで変えてしまえるのではと。日本では18歳は未成年だが、成人にしても先進国ということや国の教育レベルからして問題はないと思える。若い頃から社会人としての自覚と責任を持って行動できた方が、この国の将来としても良いのではないだろうか。

◇『 さよなら、愛しい人』レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳   文=ななえ
清水俊二訳のフィリップ・マーロウもとても好きなんだけど、村上春樹がまたまた訳したのよね。

「さよなら、愛しい人」と題名もソフトにして。

ハード・ボイルドだからソフトな題名でなくてもいいんじゃないかとも思うけどね。読むかどうか迷いつつ、やっぱり昨日買って来ました。

大鹿マロイがどのように訳されて描かれているのかとか、いろいろ想像しつつ、暫らく温めてからゆっくり読む予定です。

◇『さらば愛しき女よ』レイモンド・チャンドラー 清水俊二訳   文=ひよし
ぼくは小さい頃から「面白い人」が好きだ。

尊敬、憧れの対象だ。

子供を笑わせるためにふざける大人が、この世で一番かっこいいと思っていた。今でもそう思っている。

だから小説の主人公で一番好きなのは、フィリップ・マーロウだ。

そういうと首を傾げられるけれど。

いわずと知れたハードボイルドの代表的作家レイモンド・チャンドラーが作り出したニヒルでタフな私立探偵である。

ダンディズムやカッコつけの代名詞にされることのほうが多くて、ぼくはうんざりしている。マーロウはそんな安っぽいありきたりな趣味の男ではない。

命がけのユーモア。

それが私立探偵フィリップ・マーロウの個性だ。

これは気の利いた皮肉だと思ったら、警官に殴りつけられても口にせずにはいられない精神の男。どんなに着飾った綺麗な女性にも茶化すのを忘れない。時には露骨に嫌われるけれど気にしない。その人の正体を捉えた的確な表現だと自負しているからだ。

煙草をくゆらし皮肉を言えばマーロウに似るわけではない。

真実の為に危険な仕事をこなす勇気と、

美しい心を信じる頑なさが必要だ。

そして、マーロウをマーロウたらしめているのは、

そんな自分を笑い飛ばしているところだ。

決して巷に溢れるナルシストたちのヒーローではない。

ラストの3行はあんまり素晴らしいので暗記してしまった。

ここでは紹介できないけれど。

◇『秘密』東野圭吾  文=YUICHI
読み始め、なんだこんな話かと思った。読み進めても話の展開があまり感じられないので、途中、他の本を読んだりしていた。

そのうち暇を見つけては読み、半分位からようやくエンジンが掛かり始めた。しかしながら、それもあまり加速はしなかった。

残り、三分の一にさしかかった頃、釘付けにされる。このラストはどうなるのか……

読み終えると感動よりもショックの方が大きかった。そして次の日、目覚めた後、あれはきっと女性のしたたかさなんだと納得した。

◇『蛍』織田作之助  文=NOBO
今、「人物日本史 江戸ー時代小説大全集4ー」という本を読んでいる。その中に織田作之助の「蛍」という短篇が載っている。坂本龍馬と寺田屋の女将お登勢との奇しき因縁を描いているのだが、この作品がすばらしい。

織田作之助は「夫婦善哉」が有名で、その中に描かれている人間模様はおかしくも哀しい。「蛍」は超短編といっていいほどの長さしかないが、おかしさ、哀しさが、短い分ぎゅっと凝縮されているようだ。

未読の方は、ぜひ読んでもらいたいと思う。

おそらく上記の本はもう手に入らないと思う。図書館で借りたらいかがだろう。

◇『タタド』小池昌代  文=NOBO
小池昌代? どこかで聞いた作家の名前だと思い、インターネットで調べてみたら、「タタド」を書いた作家ではないですか。

「タタド」は「新潮」06年9月号に掲載された。僕は今まで知らなかったが、この作品で2007年川端康成文学賞を受賞したとのことである。

「タタド」を読んだ時は、ラストの展開についていけないものを感じて、なぜこの結末(スワッピング)に持っていくのか、必然性がないではないか、と思った。ただ、印象に残る作品であった。

本棚の上に積んである雑誌や本の中に「新潮」06年9月号がある。僕の読み方が浅かったのかもしれない。読み直して見ようと思う。

◇『ことば汁』小池昌代  文=ななえ
多分これは小池昌代の最新作。6篇の物語からなる不思議の世界を描いているが、読み終わるとちょっと怖い。いや、猛烈に怖い。さりげない日常を描いているのかと思って読み進むと、様相がガラリと変って幻想の世界へ誘い込まれる。

小池昌代は麻理さんに『感光生活』という本を戴いて初めて読んだ。詩人で小説も書き出したらしいとは知っていたが、それまで彼女のものは読んだことがなかった。
「感光生活」も日常を描いていて、非日常が現れたりする短編集だったが、「ことば汁」は更に怖い非日常へと読者を連れて行く。平凡で規則正しい生活を送っていたカーテン屋を営む孤独な女性が、《すすめ御殿》という屋敷の主人に取り込まれてしまう「すずめ」など、特に私には無気味で怖い話だと思われた。昔話の『舌切り雀』がこの屋敷の主人滝沢氏によって語られると、それはとてつもない話になっていく。
小池昌代は詩人であるだけに、ことばを非常に大切にしている。「野うさぎ」の冒頭は詩を読んでいるような書き出しだ。

――枯葉が頬にふりかかるのがわかった。払いもせず、そのままじっと目を閉じていると、森全体に、雨のように枯葉は降り続けた。

やがてわたしは落ち葉にうもれた。うもれたわたしを、わたしは森の上空から見ていた。

ああ、こうして、死んでいくのだ。

やすらかな気持ちで見下ろしていたとき、突如、彼方の空が割れ、めりめりと割れ、光があふれ、目がつぶれた。

何も見えない。

朝が来た。

ちょっと長いけれど、引用してみた。小池昌代はことばを紡ぎだすのが非常に上手い。ことばの一つ一つを大切にしているという印象を受ける作家だ。そこが彼女の作品の魅力となっている。

◇『ポトスライムの舟』津村記久子  文=NOBO
第140回芥川賞は津村記久子の「ポトスライムの舟」であった。昨日、妻に頼んで文藝春秋3月号を買ってきてもらい読んだ。

津村記久子は05年に太宰治賞を「マンイーター」で取って、このときの作品の印象はあまり良くなかった。良くも悪くも現代的な小説だなという感じを持った。そのあと、何作か読む機会があって、前回の芥川賞の候補作になった「婚礼、葬礼、その他」でこの作家に対して持っていたイメージが変った。

今回の受賞作は良くできた作品だと思う。契約社員で、ワーキングプア(年収が163万円)の29歳の独身女性が主人公であり、タイミングとしてもいい時期に書かれた作品だという批評が当たっていないわけではないと思いつつ、それでも僕はいい作品だと思う。ここ数年の芥川賞では一番まともなのではないだろうか。こういう視点で書かれた作品が受賞したということは喜ばしいことである。

主人公の女性は29歳で、作品の中で30歳の誕生日を迎えるので、僕とは30年近くも年齢が違うが、わずかな賃金で働いていることには変わりがない。金儲けに価値などないと思いつつも、社会に認められることと金を稼ぐことが繋がっていることを思い知らされる。そう自覚すると、主人公の独白もすんなり心に入ってくる。

それにしても、月刊「文藝春秋」の紙面を占める広告群は品がない。目を背けたくなる。

これらの広告を見ながら、いつかは自分もとあこがれた若い日があったかと思うと、自己嫌悪にかられる。若気の過ちである。